旧丹後町と旧木津町は、昭和58年1月14日、友好町としての盟約を締結し、以来少年野球チームの交流試合などを中心に交流を続けています。
平成9年に日本海でロシアのナホトカ号の重油流出事故発生時には、重油回収作業のお手伝いとして、木津町から職員や消防団員のみなさんが派遣されました。
丹後町からは日本海の新鮮な鰯や飛び魚などを送っていただき、給食などで提供されるなど、長年にわたり、さまざまな交流をおこなっています。
年次 | 内容 |
昭和58年1月 | 丹後町と木津町との間で友好町盟約締結 |
昭和58年7月 | 丹後町から「観光優待券」を木津町に送られる |
昭和58年11月 | 木津町立図書館に「丹後町コーナー」開設 |
昭和61年5月 | 木津町立小学校の修学旅行団が、訪問先を伊勢方面から丹後町へ変更し訪問し、はしうど荘で漁業体験を行う。以降毎年訪問 |
昭和62年1月 |
丹後町から鰯(15,000匹)が木津町に送られる。 幼稚園、保育園、小学校・中学校の児童生徒の給食として提供 |
昭和62年4月 |
丹後町少年野球チームが木津町を訪問、親善交流試合を開催 以後、交互に両町を訪問し、交流を深める。 |
昭和62年6月 | 丹後町商工会から飛び魚(6,000匹)が木津町に送られる。 |
平成9年1月 |
ナホトカ号重油流出事故が発生 丹後町海岸線において、約1か月にわたり、木津町から町長を先頭に、役場職員・消防団員等が交代で重油の回収作業に従事する。 |
平成16年4月 | 峰山町・大宮町・網野町・丹後町・弥栄町・久美浜町の6町が合併し京丹後市が発足 |
平成16年10月 |
台風23号による災害が京丹後市で発生 木津町梅美台小学校6年生から京丹後市にお見舞い、千羽鶴、激励の手紙が送られる。 |
平成18年7月 |
梅雨前線豪雨による土砂災害が京丹後市で発生 木津町職員互助会から、義援金が送られる。 |
時間 | 内容 | 場所 | 備考 | |
1日目 | 6:30 |
木津川市 市役所集合 |
市役所にて バス3台に分乗 |
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休憩(1) |
ドライブイン 「やまがた屋」 |
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休憩(2) | ||||
11:30 |
はしうど荘 到着 |
京丹後市 「間人」はしうど荘 |
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12:00 | 昼食 | |||
13:30〜16:00 |
海水浴& サザエ取り |
竹野浜海水浴場 | ||
18:00 | 入浴・夕食 | はしうど荘 |
各チーム 監督コーチスタッフ 交流食事会 |
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21:00 | 就寝 | |||
2日目 | 6:30 | 朝食 | はしうど荘 | |
8:30 | 交流会開会式 | |||
交流試合 | 2面で2試合 | |||
昼食 | はしうど荘 | |||
14:30 |
木津川市へ 出発 |
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休憩(1)(2) | ||||
20:30 | 市役所到着 |
聖徳太子の生母・間人(はしうど)皇后が蘇我氏と物部氏との争乱を避けて丹後の当地に身を寄せ、のちに当地を去るに当たって自らの名をこの地に贈ったものの、住民は「はしうど」と呼び捨てにすることを畏れ多く思い、皇后が退座(たいざ)したのに因み間人を「たいざ」と読み替えた、との伝承が残ります。